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2015年8月 1日 (土)

「風と共に去りぬ」 続編はご存知?

8月1日 土曜日 晴れ

book

風と共に去りぬ

『風と共に去りぬ』(かぜとともにさりぬ、英語: Gone With the Wind)は、

マーガレット・ミッチェルの長編時代小説。

概説

南北戦争下のジョージア州アトランタ市を背景に、アイルランド系移民の父と、

アメリカ南部のフランス系名家出身の母を持つ気性の激しい南部の女、

スカーレット・オハラの半生を、彼女を取り巻く人々ともども、壮大に描いた作品である。

十年近い歳月を費やして執筆され、1936年6月30日に出版、翌年ピューリッツァー賞を

受賞した。

初刊から大ベストセラーとなったが、ミッチェルは本作のみで、他に作品出版は

行わなかった。生前から続編の希望はあったが、ミッチェルが病弱であった為、

本作の執筆と完成だけでも膨大な年月を要し、同時に海賊版に対する対応に追われた

こともあって、本作以降の創作意欲を喪失してしまったからである。

1939年に公開された映画『風と共に去りぬ』は、当時としては画期的な長編

テクニカラー映画であったことも手伝って、世界的なヒット作となり、アカデミー賞の

9部門を受賞した。

あくまで南部白人の視点からのみ描かれた本作は、黒人からは「奴隷制度を正当化し、

(オハラの様な)白人農園主を美化している」として根強い批判と抗議を受け続けている。

特に黒人奴隷の描写に関しては非常に強く批判されており、また白人至上主義団体

クー・クラックス・クラン(KKK)を肯定している点等も強い批判を受けている

(主人公スカーレットの周囲にいる白人男性たちは、レット・バトラー以外のほぼ全員が

クランのメンバーである)。

この小説に対抗して、『風と共に去りぬ』の黒人奴隷達を主観に据えた黒人からの

批判的パロディー小説、『風なんぞもう来ねえ』(The Wind Done Gone)が黒人

女性作家アリス・ランデルによって2001年に著されている。

この『風なんぞもう来ねえ』は、ミッチェル財団から「著作権侵害」として提訴された。

この訴訟について、いったんは連邦地裁が出版差し止め命令を下したものの、

2001年5月25日、アトランタの連邦高裁によって「著作権侵害に当たらず」として

却下されている。

登場人物

ケイティ・スカーレット・オハラ(Katie Scarlett O'Hara)ヒロイン。

彼女の父親を除けば単にスカーレットと呼ばれている。父の母親の名前を付けられた。

アイルランド人の移民である父と優雅なフランス貴族系の家柄出身の母を持つ農園主の

娘の若い貴婦人。気が強く、機敏で計算高く、貪欲なエゴイストで、極めて自己中心的な

精神を持つ。一度捕えると離さない動的な美貌の持ち主で、周りの男性からちやほや

されて育った。しかし結婚して直ぐに夫が死に、更に南北戦争の敗戦後財産を全て失い

波乱の人生を送る事となる。算数に強く、男性の心を掴む技術に長けており、

商才がある。実家の農園タラを心から愛している。

レット・バトラー(Rhett Butler)チャールストンの名家出身だが紳士的に振舞おうとせず、

うわべの愛国心を装うことなく世間の反発をかう。スカーレット同様、極めて計算高く

機敏で貪欲、身勝手なエゴイスト。父親から勘当され社交界からは締め出された。

しかし社会を常に冷静に見ており、考えはむしろアシュリーに近い。戦争が始まる前から

南部の敗戦を予測し、軍隊には加わらず北軍の封鎖を破って商品を投機的に売り巨万の

富を築き、戦後は莫大な公金を横領した海賊的紳士。

スカーレットをアトランタからタラに送る途中に傷ついた少年兵を見て軍に志願する。

スカーレットを愛しているがなかなか本心は見せようとせず、彼独特の方法で求愛を

続けた。長い恋路の末スカーレットと結ばれた。ずうずうしい性格だが、意外にも

子供好きで特にボニーを溺愛していた。

最後にはスカーレットへの愛に疲れ、彼女の前から去る。

続編

『風と共に去りぬ』を完結した作品とみなしていたミッチェルは、多くの人から勧められても

決して続編を執筆しなかった。1949年に交通事故で他界し、夫ジョン・マーシュ

(John Marsh)の手に渡った『風と共に去りぬ』の著作権は、1952年にジョンが死去

すると兄のスティーヴンズ・ミッチェル(Stephens Mitchell)が相続し、1983年に

スティーヴンズが死去するとさらにその子(つまりマーガレットの甥)であるジョー・ミッチェル

(Joe Mitchell)とユージン・ミッチェル(Eugene Mitchell)に引き継がれた。

ミッチェルの相続人たちが恐れたのは、2011年に『風と共に去りぬ』の著作権が切れた後、

誰もが競って続編を書き始めるという状況が現出することであった。

悪くすると、南北戦争の仇敵である北部出身者や三流作家が執筆してしまうかもしれない。

実際、アン・エドワーズのような例(映画の脚本として続編を書くが裁判の結果、続編の

公開を阻止)もある。このような懸念からミッチェルの相続人たちは、先手を打って続編の

出版を企画し、1991年にリプリーの『スカーレット』が誕生した。

しかし『スカーレット』は、世界的な大ベストセラーとなりテレビドラマ化されるなど、商業的な

成功を収めたものの、作品自体に対する世評には厳しいものがあった。

そこで1995年、イギリスの作家エマ・テナントに続編の執筆が依頼された。執筆には

『風と共に去りぬ』の全体的なトーン、人物設定や背景を踏襲するという条件が付され、

さらに白人と黒人の結婚は禁止、同性愛や近親相姦についての言及も禁じられた。

テナントは『タラ』と題する575ページの原稿を書き上げたが、「感覚がイギリス的過ぎる」と

いう理由でミッチェルの相続人側から却下され、出版も差し止められた。

その後、アトランタ生まれの作家パット・コンロイにも続編の執筆が打診されたが、契約書

中の同性愛等の描写を禁止する条項が作家として自由を妨げるものとして、彼はこの

依頼を引き受けることはなかった。

さらに続編の執筆者探しの試みは続けられ、南北戦争を舞台にした小説で評価された

ドナルド・マッケイグに白羽の矢が立った。今度は過去の失敗を踏まえ、現代までの性や

人種に関する人々の意識の変化を作品に反映することを容認し、内容に過度の干渉を

加えないよう配慮がなされた。

マッケイグはスカーレット・オハラではなくレット・バトラーの視点で続編を書き上げ、

2007年にアメリカで『レット・バトラー』が刊行された。

slate

映画 風と共に去りぬ

風と共に去りぬ』(かぜとともにさりぬ、原題: Gone with the Wind)とは、

1939年に製作されたアメリカ映画。

監督はヴィクター・フレミング。主演はヴィヴィアン・リーとクラーク・ゲーブル。

日本での初公開は13年後の1952年。

概要

メトロ・ゴールドウィン・メイヤーとセルズニック・プロダクションが製作したテクニカラー

方式による叙事詩的大作ドラマであり、製作費や宣伝費に大金を注ぎ込む嚆矢と

なった作品でもある。

1936年6月に出版されたマーガレット・ミッチェル原作の『風と共に去りぬ』が世界的

ベストセラーとなり、出版してすぐ翌月には映画製作者のデヴィッド・O・セルズニックが

早くも映画化権を獲得。その後3年の歳月と当時の金額で390万ドルの製作費をかけて

全編で3時間42分という大長編映画を完成させ、1939年12月15日にワールドプレミエ

として初公開して、空前の大ヒットを記録した。

1940年のアカデミー賞で作品賞、監督賞、主演女優賞(ヴィヴィアン・リー)、

助演女優賞(ハティ・マクダニエル・黒人俳優初)、脚色賞ほか特別賞を含め

9部門を受賞した。

キャスト

デヴィッド・O・セルズニックは映画化権を獲得した1936年7月以降すぐにスカーレットを

演じる女優探しを始めた。以後2年4ヶ月の間に面接した候補者は1,400人で、

スクリーンテストを受けた者は90人。

その中にはポーレット・ゴダード、ベティ・デイヴィス、キャサリン・ヘプバーン、

マーガレット・サラヴァン、ノーマ・シアラー、ラナ・ターナー、フランシス・ディー、

ジョーン・フォンティーン、スーザン・ヘイワードなどがいた。

そしてポーレット・ゴダードが一時期有力とも目されたが、チャーリー・チャップリンと

未婚のまま同居していたこともあって採用されず、錚々たるスター達がカメラの前で

テストを受けたがついにセルズニックのイメージに合う女優はいなかった。

1938年12月に主演女優未定のまま撮影に入り、いきなり映画の中盤の見せ場であった

アトランタ市街の炎上シーンから撮影を始めたが、その時にたまたまセルズニックの兄が

ロケ地に見学として連れてきた英国の舞台女優ヴィヴィアン・リーがアトランタ炎上の

撮影場面を見つめている姿を見て、「スカーレット・オハラがここにいる」とセルズニックが

叫び、すぐにカメラテストを受けて1回で即主演女優に決まった。

また映画製作前の一大キャンペーンとして、全米各地にてオーディションが行われて、

映画の舞台であるアトランタで選ばれたイヴリン・キースは、スカーレットの

妹・スエレン役にキャスティングされた。

相手役のレッド・バトラーは当時すでに大スターでアカデミー賞主演男優賞を受賞していた

クラーク・ゲーブルで、彼の代表作となった。

日本での公開

日本での初公開は1952年9月4日。当時ロードショーの入場料金は80円の時代で

あったが、この「風と共に去りぬ」の初公開は前評判が高く、300円の席と500円・600円

の席があり、それでも売れて満員であったと言われている。

映画で描かれる南部の栄光と南北戦争敗北による没落から見事経済的に成功するものの

精神的な幸福感を得られないヒロイン・スカーレットの姿が太平洋戦争の戦後復興の

途上にありながらも大義や志を失った当時の日本の姿と一致したこともあって、当時高い

入場料であるにも拘らず大ヒットロングランとなった。

高度経済成長以降でもたびたびリバイバル上映されている。製作当時は普通に35mm

スタンダードサイズであるが、後にコマの上下をカットして中央を横に広げたワイドスクリーン

版も登場し、さらに2005年以降は、デジタルリマスター版での公開もなされている。

太平洋戦争の緒戦において、日本軍による被占領地となった上海、シンガポール、マニラ

などで、主に軍隊関係(陸軍中野学校出身者)の日本人がこの作品(他、ディズニー・アニメ

映画「ファンタジア」)を見る機会を得たが、「こんな映画を作る国と戦争しても勝てない」と

衝撃を受けたという。

小津安二郎や徳川夢声もシンガポールでこの映画を観ている。その評判が噂を呼んで、

東京にフィルムを空輸して軍関係者のみの試写会が行われた。

東京大学でも上映会があり、学生時代の江崎玲於奈が観たという。

終戦直前に桃井真がこの映画を観ている。

また日本では1966年に世界で初めて舞台化された。

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マーガレット・ミッチェル

マーガレット・マナーリン・ミッチェル(Margaret Munnerlyn Mitchell、

1900年11月8日 - 1949年8月16日)は、アメリカの小説家。

長編小説『風と共に去りぬ』で知られる。

『風と共に去りぬ』出版に至るまで

ミッチェルはくるぶしの骨折で寝たきり生活を送っていた1926年、『風と共に去りぬ』を

書きはじめたと伝えられている。夫のジョン・マーシュは彼女の気晴らしにと図書館から

歴史書を借りてくるのだったが、あるとき「ねえ、そんなに本が好きなら、今度は自分で

書いてみたら?」と言った。

南北戦争の豊富な知識を持っていた彼女は、それを背景として自分の人生体験を

叙事詩に綴っていった。執筆には旧式のレミントン・タイプライターが使われた。

当初、主人公の名前はパンジー・オハラであり、オハラ家の領地であるタラは

フォントノイ・ホールと呼ばれていた。

マーシュの協力的な姿勢も手伝って、ミッチェルは療養中の楽しみを創作に見出した。

彼女は最終章から書き出し、章を飛び飛びに書き進めるなど、独特な執筆手法を取って

いた。ときどき、夫に原稿を読んでもらっていたものの、山積みになった原稿にタオルで

覆いをしたり、戸棚やベッドの下に置いて、他人の目には触れないようにしていた。

1929年にはくるぶしは完治し、小説もほぼ完成していたが、彼女自身は創作活動への

意欲を失っていた。

1935年、アトランタの一主婦として生きていた女性の運命を一変させる出来事があった。

当時、南部地域で有望な作家を探していたマクミランの編集者、ハワード・ラザムが

ミッチェルのもとを訪れたのである。ラザムの同僚が2人の共通の友人であり、ミッチェルに

アトランタを案内してもらう予定であった。すっかり彼女に惹かれたラザムは、これまでに

何か書いたものはないかと尋ねた。彼女は困惑した。

かつて新聞社に勤め、プロの書き手の意識を持っていた彼女にとって、出来損ないの古い

原稿を編集者に見せるなど、思いも寄らないことであった。それでもラザムは「もし何か

書いたら最初に読ませてください」と懇願するのだった。後日、この話を友人にしたところ、

「あなたが本を書くなんてあり得ない話よね」と笑われ、腹を立てた彼女は、自宅に帰ると

ボロボロの封筒から古い原稿を引っ張り出した。The Georgian Terrace Hotelに

着いたときには、ラザムはちょうどアトランタを発つために荷造りをしていた。

「原稿があるわ―気が変わらないうちに持って行って」。

この原稿は小柄な作家の背の高さ以上の分量があったため、ラザムはスーツケースを

新たに買い足さなければならなかった。後になってミッチェルは自分の大胆な行動を

振り返り、背筋が寒くなる思いがした。そこで「気が変わりました。原稿は送り返して

ください」と書いた電報を送ったが、ラザムは原稿を読んで、未完成で荒削りな部分は

あるが大ベストセラーになる作品だと確信していた。彼女は原稿の代わりに、小説の

出版を熱望するラザムの手紙を受け取り、続いてマクミランから稿料の前渡し分を

受け取った。小説は1936年に完成したが、彼女は最後まで第1章を書かなかった。

6月30日、『風と共に去りぬ』は出版され、3年後にはデビッド・O・セルズニックによって

映画化された。1939年12月15日、アトランタでプレミア上映会が開かれている。

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book

スカーレット

スカーレット』(英: SCARETT :The Sequel to Margaret Mitchell’s

GONE WITH THE WIND)は、アレクサンドラ・リプリーが書いた小説。

マーガレット・ミッチェルの小説『風と共に去りぬ』の続編である。

日本語版の翻訳は、森瑤子が担当した。

概要

1936年の出版以来、世界的に読み継がれている小説『風と共に去りぬ』の続編で、

主人公スカーレット・オハラとレット・バトラーの“その後”を描く。

著者であるマーガレット・ミッチェルが続編を書こうとしなかったので、ミッチェルの

相続人たちが続編の企画を発表すると、大きな期待が寄せられた。

執筆者にはアレクサンドラ・リプリーが選ばれ、1991年9月、『スカーレット』が

刊行された。世界的なベストセラーとなったが、作品自体に対する当時の世評は

厳しいものがあった。

1994年、テレビドラマ化され、1996年、日本で演劇が製作された。

出版までの経緯

マーガレット・ミッチェルの小説『風と共に去りぬ』は、1936年の出版以来、世界中で

売れ続け、「これを上回るのは聖書しかない」といわれることもあるほどだった。

そして、深い余韻を残す結末を迎えた主人公のスカーレット・オハラとレット・バトラーの

“その後”に、多くの読者が気をもんだ。だが、『風と共に去りぬ』を完結した物語と

考えていたマーガレット・ミッチェルは、何度勧められても、続編の筆を執ることはなく、

1949年、交通事故で急逝してしまった。

相続人たちは、2011年に『風と共に去りぬ』の著作権が切れた後、誰もが続編を競って

書き始める状況が現出するのを危惧した。悪くすると、南北戦争の仇敵である

北部出身者や三流の作家が、続編を書いてしまう惧れがある。アン・エドワーズのような

実例もあった。このような懸念から、相続人たちは先手を打って続編の出版を企画、

執筆者を公募した。10人以上の作家がこれに応募し、1986年、弁護士よりなる

選考委員会により、レット・バトラーと同じチャールストン出身のアレクサンドラ・リプリーが

選ばれた。

続編の執筆

アレクサンドラ・リプリーが『風と共に去りぬ』を初めて読んだのは、13歳のときであった。

その時は、スカーレット・オハラよりもメラニー・ウィルクスの性格に惹かれたという。

続編の執筆者に選ばれると、アレクサンドラ・リプリーは準備に念を入れた。

執筆にあたって彼女は、少なくとも2つのこと、すなわち、マーガレット・ミッチェルに

対する義務として登場人物の性格を変えないことと、『風と共に去りぬ』を愛読してきた

多くの読者のために自分の作品を書くことを心掛けたと、のちに日本人のインタビューで

語っている。

準備のために、彼女が『風と共に去りぬ』を読み返した回数は、5回とも6回ともいわれる。

マーガレット・ミッチェルの文体を把握するために、『風と共に去りぬ』を200~300ページに

わたり手書きで写した。小説の舞台となるアトランタ、チャールストン、サバンナ、

アイルランドを訪ね歩き、100年以上前の資料も調査した。

また、続編の内容が漏れないように気を配った。うっかり口を滑らさないように、マスコミ

には一切会わなかった。資料が散乱している自宅へは、友人さえも招き入れなかった。

『スカーレット』の完成には5年(ただし、最初の1年は著作権上の問題に費やされた)

かかったが、原稿完成後も順調に事は運ばなかった。原稿を読んだ編集担当者は

「歴史の細部に拘りすぎて売れない」と考えたので、出版には至らなかった。

その後、その編集担当者が交代したので、原稿完成から1年が経過して、ようやく

出版の運びとなった。

大ベストセラーに

1991年9月25日、『スカーレット』が発売された。読者の期待は相当なもので、

アメリカでは発売前の予約だけで100万部に達した。書店や図書館には、いつ

『スカーレット』が届くのか問い合わせが続出した。発売を前にして、アトランタのある

書店前には、200人もの客が徹夜の行列を作った。

『スカーレット』が発売されると、たちまち売り切れ店が続出した。配給元の在庫も尽き、

いったん受けた注文をやむを得ずキャンセルする書店もあった。

発売初日だけで25万部が売れたという。

著者であるアレクサンドラ・リプリーも一躍、時の人となった。発売4日目の9月28日、

アトランタのあるスーパーマーケットでサイン会が催されたが、大勢の人が詰め掛け、

予約客だけで6,000人に達し、3時間のサイン会では処理しきれないほどだったという。

『スカーレット』は、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなど世界各地で同時に

出版された。世界中で売れ続け、数百万部にのぼる大ベストセラーとなった。

評価

『スカーレット』は、商業的には大きな成功を収めたが、作品自体に対しては厳しい批判が

向けられた。

日本語版の出版

『スカーレット』の日本語版は、原作より1年以上遅れて1992年11月、新潮社から

出版された。日本語への翻訳は、『風と共に去りぬ』の大ファンであり、続編を書くのが

夢だったという森瑤子が、自ら新潮社に連絡を取り、志願した。

しかし、志願の最大の理由は、新聞か雑誌で読んだインタビュー記事に載っていた、

アレクサンドラ・リプリーの「スカーレットは好きではない」という発言に怒りを感じたため

だった、と日本語版の巻末に収めた「訳者あとがき」に記している。

1994年11~12月に新潮文庫全4巻でも刊行されたが、2009年現在両方とも

品切れである。

森瑤子は早速翻訳作業にとりかかったが、『風と共に去りぬ』との関係で翻訳上の壁に

突き当たった。他の登場人物や作家としての見方など、様々な視点で書かれている

『風と共に去りぬ』とは対照的に、『スカーレット』がスカーレットの視点のみで書かれていて、

平坦であったためである。また、物語自体もスカーレットの周辺のみにとどまり、

レット・バトラー側のドラマが書き込まれていなかった。翻訳者として原作に無い場面を

勝手に加えることはできないが、『風と共に去りぬ』の読者の期待を裏切ることもできない、

とジレンマに陥ったが、マーガレット・ミッチェルならどうするかを常に念頭に置くことに

活路を見出し、『スカーレット』が『風と共に去りぬ』の続編として書かれている以上、

そのような姿勢で翻訳にあたるのは間違っているとはいえないと思うに至って、ついに

日本語版を完成させた。彼女は、結果として異訳とか超訳などと呼ばれるかもしれないが、

自分にとっては唯一の良心的な翻訳であったと述べている。

なお、当時、東京女子大名誉教授(アメリカ史)であった猿谷要は、原文と森瑤子の訳文を

照合し、異なる点が多いことを確認している。彼は、些細な部分があちらこちらで削られ、

それ以上に書き加えられた部分も多いので、翻訳の範囲を超えるものではないかと疑問を

呈したが、森瑤子が作家として少しでも『風と共に去りぬ』を続編に反映させようとした

思いは認めている。また、訳文はリズムカルで読みやすく、「他の外国での訳とは違って、

日本訳は二流作品を訳者が格上げしたと、あるいは評価されるかもしれない」とする一方、

翻訳のあり方については論議を呼びそうだと述べた。

テレビドラマ

小説『スカーレット』の大ヒットを受けて、出版から約1月後の1991年11月3日、早くも

テレビドラマ化が決定した。テレビ化の権利は、米CBSテレビなどが800万ドルで

獲得した。

制作費は、破格の4,000万ドルに及び、53箇所でロケが敢行された。

主役のスカーレット役の選考には、映画『風と共に去りぬ』でデヴィッド・O・セルズニックが

使った話題づくりの手法を活用し、世界中から2,000人に上る候補者を集めて審査した。

約2年後の1993年11月8日、米CBSテレビは、スカーレット役にイギリスの女優

ジョアンヌ・ウォーリー・キルマーを起用すると発表した。

また、レット・バトラー役には、映画『007シリーズ』のジェームズ・ボンド役を演じたことも

あるティモシー・ダルトンが起用された。

ストーリーは原作とは異なり、スカーレットが殺人事件に巻き込まれる内容となっている。

1994年11月13日、全米で放映され、高視聴率を記録した。

日本では同年12月19日から22日にかけて午後9時より、NHK衛星第2テレビにて、

「BSスペシャル 超・話題海外ドラマシリーズ『スカーレット』」と銘打ち、4夜連続で

放映された。

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森瑤子

森瑤子(もり ようこ、1940年11月4日 - 1993年7月6日) は、1980年代に活躍した

日本の小説家。本名、伊藤雅代。静岡県伊東市出身。37歳でデビューしてから

52歳で没するまでの短い活動期間に、小説、エッセイ、翻訳など100冊を超える著作を

生んだ。作品は20回以上テレビドラマ化されている。

1992年(平成4年) 52歳 11月、新潮社より『風と共に去りぬ』の続編『スカーレット』

(アレクサンドラ・リプリー著、森瑤子訳)刊行。

この仕事のために、ほぼ1年、作家としてのほとんどの精力を注ぎ、翻訳としてできる

範囲を問いつつ、作家生命を賭けて翻訳した。

夏、アトランタ、スコットランド等『スカーレット』の舞台を取材旅行。旅の途中、数度に

わたって胃痛を訴える。『スカーレット』刊行後も、執筆の他、取材、講演会等、

多忙をきわめる。

1993年(平成5年) 年頭より、父・伊藤三男が長年温めていたテーマについて、時代小説

「甲比丹《カピタン》」として取り組む。3月上旬に精密検査にて、容易ならざる病状が判明。

その後、胃癌であることの告知を受ける。多摩市の病院に転院。治療を続けながら、

友人達とのFAXのやりとり、各誌の連載原稿を書く。

5月、集英社より『森瑤子自選集』〈全9巻〉の刊行が始まる。6月上旬、容態が急変、

覚悟を決めて家族と仕事、葬儀の事など伝え始める。

カトリック受洗(テレジア雅代・ブラッキン)。7月6日、52歳で永眠。7月8日、

四谷聖イグナチオ教会に於てカトリック葬。

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スカーレット 単行本 1992/11

1095ページ

森瑤子は大好きな作家で翻訳本が出て直ぐに「スカーレット」は読みました。

「風と共に去りぬ」好きの森瑤子が翻訳してくれて本当に良かったと思う内容で

原本とは若干違う様ですが、ラストには納得しました。

が~森瑤子もきっと違和感はあったと思います。

スカーレットのイメージが違うのです。それもそのはずアレクサンドラ・リプリーは

メラニーの方が好きなんですから・・・主人公への思いが違います。

原作のイメージに沿って書かれた「スカーレット」でしょうが、でも作家の意気込みが

スカーレット・オハラに100%注がれていない気がしました。

マーガレット・ミッチェルに是非共続編を書いて欲しかったです。

聖書に続編が無い様に「風と共に去りぬ」にも続編は必要無いのでしょうか?

スカーレット‾続・風と共に去りぬ‾(1)(字幕) [VHS]

2年後にTSUTAYAでレンタルでアメリカのTVドラマを見ました。NHKの衛生放送も。

現在、amazonで検索したらDVDは無くてVHS テープ数:1となっています。

ドラマは微妙でした。

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book

レッド・バトラー

レット・バトラー』 (英: Rhett Butler’s People)は、ドナルド・マッケイグが執筆した小説。

マーガレット・ミッチェルの小説『風と共に去りぬ』の続編として、2007年、アメリカで

出版された。日本語訳版は2008年に全6巻で『レット・バトラー 新編・風と共に去りぬ』、

ゴマブックス。

概要

ドナルド・マッケイグ『レット・バトラー』は、2007年11月、セント・マーティン出版

(St. Martin’s Press)から初版100万部で出版された。

日本語版は池田真紀子が監訳を担当し、2008年にゴマブックスで、同社の

20周年記念として文庫全6巻で、7月から9月にかけ2巻ずつ刊行された。

アレクサンドラ・リプリー『スカーレット』(1991年)に続く、『風と共に去りぬ』の公式続編

だが、主人公スカーレット・オハラでなく、もうひとりの主人公たるレット・バトラーの

視点で書き上げている。

1843年から1874年までの時代に焦点を当て、レットの幼少期、成長期についても

描写している。

出版までの経緯

マーガレット・ミッチェルは、自著である小説『風と共に去りぬ』を完結したものとみなして

いたので、多くの勧めがあったにもかかわらず、続編の筆を執ろうとはしなかった。

ミッチェルの相続人たちは、『風と共に去りぬ』の著作権が切れる2011年以降に、誰もが

続編を競作する状況となること、悪くすれば、南北戦争の仇敵である北部出身者や

三文小説家が続編を書いてしまうことを危惧し、自ら続編の出版を企画、作家を公募した。

その結果、1991年にアレクサンドラ・リプリー(米南部チャールストン出身)の手による

続編『スカーレット』が刊行されたが、商業的には大きな成功を収めたものの、作品自体に

対する評価は厳しいものがあった。

その後、続編執筆のためにエマ・テナントやパット・コンロイが起用されたが、前者は

「感覚がイギリス的過ぎる」という理由で原稿が却下・封印され、後者はミッチェルの

相続人たちが課した様々な執筆上の制約(同性愛描写禁止など)が原因で、

依頼を断った。

このような失敗にもかかわらず、執筆者探しは続けられ、南北戦争を舞台にした小説

『ジェイコブズ・ラダー』(Jacob's Ladder)が評価されて、ドナルド・マッケイグが

起用された。

彼は、それまで『風と共に去りぬ』を読んだことがなかったが、一読して作品に惹きこまれた。

作品の背景となる史実を綿密に調べ上げ、原著の詳細な筋立てを準備して執筆に臨んだ。

書き上げた章から編集者に送付し、時折弁護士のチェックを受けた。執筆に際しては、

それまでのような制約は緩和され、現代までの性や人種に関する人々の意識の変化を

作品に反映することが可能となった。

また、弁護士も過去の経験を踏まえて、作品の内容に過剰な干渉をしないよう注意を

払った。かくして2007年、『スカーレット』に次ぐ続編として、『レット・バトラー』が

刊行された。

book

新編・風と共に去りぬ レット・バトラー 

ゴマ文庫    6巻

中古版しか残って無くてamazonで購入。本は1円~50円程で送料が1冊250円程。

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商品の詳細2008/6/10

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商品の詳細2008/8/5

商品の詳細2008/8/5

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「風と共に去りぬ」は中学1年の時に河出書房新社/世界文学全集 グリーン版

で読みました。母が河出書房世界文学全集を揃えてくれましたので。

『世界文学全集 グリーン版 第一集 別巻01』

1960  「風と共に去りぬ1」

『世界文学全集 グリーン版 第一集 別巻02』

1960 「風と共に去りぬ2」

『世界文学全集 グリーン版 第一集 別巻03』

1960 「風と共に去りぬ3」

もうこの本は何回読んだ事でしょう。

本を読んだ後少しして、母と一緒に映画を観に行きました。

本のイメージ通リのビビアン・リーのスカーレトだったし、クラーク・ゲーブルの

レッド・バトラーでした。

風と共に去りぬ [DVD]

この映画の俳優と本の中の主人公たちのイメージがあまりにもぴったりなので

本も読み返しますし、映画でDVDで何回も見ています。

そして1992年の「スカーレット」森瑤子訳を、徹夜で眠ること無く一気に読みました。

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で~~2003年頃から韓国スター「イ・ビョンホン」や「チャン・グンソク」に

嵌りnetをするようになって時間が取れず、毎月図書館で借りてかなり読んでいた

本から離れています。

だから「新編・風と共に去りぬ レット・バトラー」が出てる事など知りませんでした。

勤務先での会話から知った次第。えらいこっちゃと直ぐに購入。

今、少しずつ読み始めた所です。

フルタイムで働いて、帰宅してnet検索に余暇が全て費やされています。

大好きな本を忘れてました。

チャン・グンソクから離れる事は出来ませんが、今一度時間の使い方を見直し

たいと考えています。

blogされていらっしゃる方々の多くが時間が掛かるので大変と聞きます。

ちょっと調べるだけでも1~2時間はあっと言う間です。

好奇心旺盛なので結局は好きなんですが・・・

それでも見直さないと何か大切な物や事柄を置き去りにしている様で。。。

もっと早く気が付くべきでしょうが・・・coldsweats01

前から少しずつ、つぶやいていますが段々この事が大きくなっています。